「メンタリスト」を名乗るYouTuberが、ホームレスなどの生活困窮者に対して差別的発言をして、炎上しているというニュースが話題になっています。具体的には、「彼らが死んでも(別に自分は)困らない」「彼らを助けるくらいなら、猫を助けたい」という発言が問題視されて関連団体等から非難の声が挙がっています。
「メンタリスト」DaiGoさん 生活困窮者への“差別発言”で謝罪
作家やユーチューバーとして活動する「メンタリスト」のDaiGo(ダイゴ)さんが「ホームレスの命はどうでもいい」などと発言する動画をインターネットで配信し、生活困窮者の支援団体の関係者などから、批判の声が相次ぎました。問題の動画は削除され、DaiGoさんはネットの配信で謝罪しました。
引用元:NHKニュース2021年8月14日配信
司法書士も業務上、生活困窮者との接点(生活保護申請)があり、また認知症や精神・知的障害者の後見業務(財産管理、身上監護)があるので、この点については色々考えさせられることが多いですね。
目次
今回の問題点の解析
まず、形式的な話をすると憲法第19条で「思想・良心の自由」が認められているので、ホームレスに対してその様に思うのは自由ですが、今回の問題点としては、チャンネル登録者数が200万人を超えるインフルエンサーが自分の影響力を顧みずに公の場(YouTube)で差別的発言をしてしまった点と、生活困窮者を一括りに「その様な存在だ」と断じた雑で無配慮な発言が多くの人を悲しませた点が問題と感じました。
彼は学歴も高く博学なのですが、このような発言をするとどうなるかというのは分からなかったのでしょうか。それとも、YouTubeという一見閉鎖された(見たい人だけが見る)メディアだから、多少扇動的な発言をしても問題ないと思ったのでしょうか。いずれにせよ、先日の東京オリンピックの開会式の音楽担当だったミュージシャンの過去の障害者へのいじめ発言の顛末(辞任)を見れば察しがつきそうなものですが、成功者のおごりがあったのでしょうか。
その根拠の一つに、問題発言後の弁解動画(その動画では謝罪というより、本発言の真意の説明というか弁解をした)で、「確かに言い方は乱暴だったが、高額納税者である自分は間接的にせよ、社会福祉に貢献している。だから、外野(コメント欄)で俺を非難している奴らよりはマシだ」という趣旨の発言があります。
「ノブレス・オブリージュ」を曲解した?
みなオジ的には、こちらの方がタチが悪い発言だなぁと思う訳で、金稼いでいれば好きな事言っていいという様な開き直りが透けて見える自己弁護に聞こえました。また、彼は動画の中で「ノブレス・オブリージュ」の精神(富裕層や王族などの特権階級は、人より多く施しを与えるべきという責務)を語っていましたが、その責務は黙って行使すべきであって、人より納税しているからイイだろうと周囲に公言するというのは、むしろ非常にカッコ悪いなと感じずにはいられませんでした。(彼は権力者(治世者)側ではなく、税を納める側なので、正確にはノブレス・オブリージュは当てはまらない。そもそも、納税は国民の義務だし、ちょっと多く税金を納めたくらいでドヤられてもね)
そもそも、わざわざ欧米発祥の理論を振りかざして批判の矛先を逸らそうとしたのも、策士策に踊れるの典型例で、残念ながら先ほどの言い訳と併せて「火に油状態」となってしまいました…
危険思想の持主ではなく、単に想像力が足りない人
他人であるみなオジが一方的に断罪するのもアレですので、一応、彼の弁護的な所もしておくと、彼はおそらくマジメな性格で、これまで色々な犠牲を払って勉強など非常に頑張ってきたんだと思います。彼を非難する人の中には、彼は「優生思想家」で危険人物だという人もいますが、そういう偏った思想の持ち主という訳ではなく、むしろバカが付く程マジメ人間なのだと思います。
そういうマジメな人は、得てして「自己責任論」に傾倒しがちで、社会的に成功したのは自分の努力の賜物であるから、その対価は堂々と胸を張って得るべき、と考える一方で、人生が上手くいかなかったのは自分が怠けたせいだから仕方ない。つまり、貧困などの不利益もその結果として受け入れるべきだという考え方なのだと思います。日本は資本主義社会なので、そういう考え方も一理あるかと思いますが、人生努力をしても上手くいかない人もいますし、生まれ持った能力や運で努力をしなくても上手くいく人もいるのです。その辺りの理解不足が、今回の炎上騒ぎの要因なのです。
つまり彼は、生活困窮者それぞれにストーリーがある事を想像せず(できず)に、「生活困窮者=努力をしない人(ダメ人間)」というレッテル貼りをしてしまったが故に、乱暴かつ過激な発言になってしまったのです。そういう意味で、謝罪動画の中で繰り返し「勉強不足」と言っていましたが、それは表面的な言い逃れの為の為に発した言葉では無く、偽りない言葉ではないかと思います。
人は誰でも生活困窮者になり得る
司法書士の業務の一つに「後見業務」というものがありますが、端的に説明すると認知症や病気で判断能力が低下した人の財産管理をその本人に成り代わり行う業務です。司法書士、弁護士、社会福祉士は「専門職後見人」と言われ、その中でも司法書士が後見人に任命される件数が多いのですが、その業務に携わると「社会的弱者」というのがいわゆる怠け癖や浪費等の自己責任で生み出される訳ではないことが分かります。もちろん怠け癖や浪費に走る原因が病気に起因することもあり、端から見るとただのだらしないオジサンという人も、きちんと検査すると何らかの原因(病気)が元で能力を喪失しているケースも多いのです。
障害者に対する理解不足が偏見を増長する要因に
そういう現実を知らないと、道端に寝転んでいるホームレスを邪魔だという存在でしか見れなくなてしまうでしょう。これは、勿論我々側の勉強不足であると言えますが、弱者保護の仕組みや教育がきちんとできていない国(社会全体)の責任とも言えます。
例えば、精神病の理解一つとっても、多くの人が「心の病気」もしくは「心が弱いだけ」というイメージを持っていますが、正しくは「脳の疾患」であって、このことを理解するだけでも、精神障害者への偏見が無くなるのです。また、コミュニケーションの工夫(例:短い文章で伝える、主観的な表現を使わない)をするだけで、健常者と同様もしくはそれ以上のパフォーマンスで仕事を行う事も可能なのです。
司法書士も後見人として障害者や認知症の方と直接話をする機会(月に1度の定期面談)がありますが、我々含む支援者が本人の状態をきちんと理解しているかどうかで本人の表現能力も大きく差が生じると言われているのです。
福祉後進国の汚名を晴らす時
日本は世界的に見ても、福祉面では後進国であり「ノーマライゼーション」や「自己決定権の尊重」というのも比較的最近になって浸透してきました。分かりやすく言うと、今までは社会的弱者は判断力が低いので、第三者が最善と考える方法で本人に代わって決めてあげようという考え方(代理行使)が主流でしたが、残された判断力の中で本人の希望が必ずあるはずだから、それを汲み上げてその気持ちを最大限尊重しようという考え方(自己決定権の尊重)に移行しています。つまり、障害者等も社会の一員であるのだから、誰もが自分らしい生き方を追求できる社会の実現を目指そう、というのがスタンダードになっているのです。
近時、日本ではLGBTQといった言葉が浸透し、セクシャルマイノリティの理解が深まりましたが、社会的弱者への理解はいまだ低い状況です。また、日本のセーフティネットの脆弱性も昨今のコロナ事情で一層露呈しています。本来支援の手は「必要な人に必要な程度に応じて」平等に差し伸べられるべきですが、支援金の制度設計を見ても一部不均衡(ある業界だけ手厚く保護されている?)なものとなっていると言わざるを得ません。
今回の炎上騒動を機に思う事
事理弁識能力が備わった通常の人でも、失業などを機に簡単に泥沼にはまってしまうのです。一度ハマると中々抜け出すことが難しい世知辛い世の中なのですから、知的・精神障害者等の生きにくさは言うまでもないでしょう。
今回の炎上騒ぎで、その発言者個人を叩く場になってしまうと、あまり意味のないものになってしまうので、できれば、生活困窮者の存在そのものにスポットを当てて、皆の意識を高めるきっかけになると良いなと思います。