お金・仕事 港区おじさんのつぶやき

収入と幸福度

投稿日:2021年11月21日 更新日:

今年も11月に突入し、あっという間に2021年も終わろうとしています。時の流れは速いものです…

さて、第2次岸田内閣下で新たな国民支援策として発表された「18歳以下の子供」に対する10万円給付(所得制限あり)が論争を生んでいます。

昨年度に続く経済対策の柱としての給付案

昨年度は国民全員に10万円の現金が支給されたので、(申請自体を忘れなければ)ほぼ全員が現金を受け取った事かと思います。しかし今回の給付要件は、当初全員だったものの、公約を掲げていた公明党と自民党との協議を経て960万円の所得制限、つまり一定額以上の収入の世帯は給付対象外という事になりそうです。

ここで論議を醸したのが、960万円の所得は「世帯主」が対象(※のちに、世帯主ではなく、世帯の中で最も所得の高い者が対象と修正されました。)であるという事です。その為、夫婦共働きでそれぞれ900万円の収入で1800万円だったとしても支給の対象になってしまい、一方で妻が専業主婦で、世帯主である夫が1,000万円の収入がある世帯の場合は給付の対象外となるという不均衡が生じ、対象外となった子育て世帯からも不満が噴出しています。

そもそも、「なぜ子供に対しての支給なんだ?」とか、「それよりも生活困窮者ヘの支援が先だろう」という意見もあり、まさに国内各所で紛糾と分断が生じている状態です。

それぞれの主張は至極もっともですが、全員給付としない限りどの案を採っても誰かしらの不満は出てしまうでしょうね。そもそも1000万円くらい稼ぐ世帯であれば、これまでの貯えもある事でしょうし、生活に困窮する事はない(まあ、節約さえ出来ればの話ですが…)でしょう。そういう意味では、リストラされそうだ~等の状況にない限り今10万円をもらったところで然したるインパクトも無く、ありがたみは少ないのではないでしょうか。とはいえ、普段高い税金を払っているのに関わらず、給付の際にはその恩恵に与れないというのは心情的には非常に複雑でしょう。

年収960万円の基準って?

年収960万円の所得制限は何の根拠もない訳ではなく、児童手当の仕組みを参考に算定しています。現行の制度では扶養家族の人数により定められた所得を超えると、世帯に通常1万~1万5千円支給される児童手当が、一律5000円に減額されてしまいます。ちなみにこの児童手当ですが、2022年には年収1200万円以上は手当廃止となる見通しであり、高所得者からはかなりの反発が出ています。

【児童手当の所得制限】扶養親族等:所得制限限度額・収入額の目安
・0人(前年末に児童が生まれていない場合等):622万円・833.3万円  
・1人(児童1人の場合等):660万円・875.6万円  
・2人(児童1人 + 年収103万円以下の配偶者の場合等):698万円・917.8万円  
・3人(児童2人 + 年収103万円以下の配偶者の場合等):736万円・960万円  
・4人(児童3人 + 年収103万円以下の配偶者の場合等):774万円・1002万円  
・5人(児童4人 + 年収103万円以下の配偶者の場合等):812万円・1040万円
960万円基準は「夫と専業主婦、子ども2人の家庭」をモデル世帯としています

日本の所得税は累進課税制なので、収入の多い世帯ほど納税額が多くなるのは制度上仕方が無いと思うのですが、給付や給付または補助の対処からも高所得世帯が外されるとなると、何のために頑張って仕事しているのかと勤労に対するモチベーション低下や納税自体アホらしいと考える風潮が高まります。しかも自営業者と違って所得額をコントロールできないサラリーマンは、特にその思いが強くなるでしょう。

不平等だが嘆いてもしょうがない

ちなみに、今回の所得制限で「世帯年収」を基準にしなかった理由は、政府は女性の社会進出を推進している手前、妻の勤労意欲を減退させるような施策を回避したからでしょう。

みなオジ自身も、納得のいかない部分はあります。例えば年収960万円というのも、地方と都心で物価が異なる事から、一律に基準を設定するのが良いとは思いません。(賃料一つとっても、4人家族で3LDKに住もうと思ったら、地方であれば10万円も出せばそれなりの所に住めますが、15万円は見ておかないと、利便性の悪い場所かもしくはとんでもないお化け屋敷に住まざるを得ない状況になるでしょう。)

また、所得制限を掛けるにしても世帯年収で判断しないのは明らかに平等性を欠くと思っていますが、元々、子育て世帯すべてに給付ありきという所からスタートした話である以上、まさに形式論でそういう着地にせざるを得なかった(大人の判断とした)という事でしょう。

お金が全てではない

ここで、このトピックの本論となる話ですが、戦後の高度経済成長期においては「国民総中流層」などと言われており、飛び抜けた富裕層はいなかったものの、その分平等感がありました。今の給付対象で世帯分断が生じている状況の様に「年収が~、共働きが~、独身が~」等と、誰かを妬む羨むという風習は少なかったのではないでしょうか。

戦後より明らかに物や娯楽に溢れている今の世の中のはずなのに、心の貧しさや心のゆとりが減ったきた様な気がします。納豆ばっかり食っている隣で、和牛サーロインステーキ食べてるの見せられたらそりゃ嫉妬もするわな、というのが今の状況なんでしょう。(いや、みなオジは納豆好きですけどね。)

お金が全ての人

「格差拡大」によって、日々の暮らしにも困窮する人たちが増えている事も問題ですが、更に根深い問題と言えるのは、高所得な人たちもその稼ぎ程には幸せを感じていないという事です。まず、一般的に年収1,000万あれば「高所得ですね」と認識されるイメージですが、実際の年収1,000万の世帯はそれ程ゆとりがある訳ではありません

まず、社会保険料や所得税の負担が多いので、節税対策がほとんどとれないサラリーマンの手取り(所得額)は、年収差ほど生じていないのが現実です。そして、先程でも触れましたが、同じ1,000万円の収入があっても物価が異なる為、都心部では800万円位の感覚です。子供がいれば教育費(未就学児のお受験の学習塾に月4~5万円というのはザラ)にもそれなりのお金をかける必要があります。

これには、「お受験なんて金持ちの贅沢でしょ?」という指摘がありますが、別に見栄だけで高額な塾に行かせようという訳ではありません。高所得者ほど自身に教育費を親から掛けられていたことを認識しているので、自分が親の立場になって自分の子供の教育費をケチるという感覚が起きにくいのです。(逆に、学歴がない親が高年収となった場合でも、自分の子には学歴を持って(もっと楽に人生を歩んで)欲しいというコンプレックスから子供の教育費にはお金をかけるという傾向もあります。)

当然、自分たちは人より稼いでいる(頑張っている)という意識がある為、食費や生活費に関し財布の紐は緩みがちになります。居住費についても住宅ローンの限度額は主に収入額で決まってくるため、ついつい上限いっぱいまで借りてしまい、ローン支払まで加味するとキャッシュフロー収支は年収500万円くらいの世帯と大差がないという状況が多いのです。高い報酬は総じて長時間労働やストレスの高い仕事をこなす対価であり、その割には手残りが変わらないというのでは、幸福度は高まることは無いでしょう。

そして最後の極めつけとして、先ほどの所得制限の例の様に、稼ぎば稼ぐほど、税金や社会保険料で徴収されているにもかかわらず、逆に給付の段になると納税額程の恩恵は受けられない事から不平不満だけは他の世帯に比べて多くなるのです。

幸福度と満足度は別物?

こう考えると、なまじお金を稼ぎ、良い生活を知ってしまう事で「満足度」は高まるかもしれませんが、それと同時にプライドも高くなってしまい、生活レベルを落とすことが出来なくなってしまう事の方が問題かもしれません。

自分自身の経験上、ある一定の年収を超えると生活の不安は確かに消えるのですが、幸福度という意味では年収では満たされないものがあり、容易に満たされることはありません。実際、年収が低い内は仕事内容がきつくても報酬の高い仕事をしたいとアグレッシブに転職を繰り返しましたが、ある程度まで年収が高くなると仕事へのモチベーションは単純な報酬の高さだけではなくなってきます。年収が800万円を超えた辺りから、多少残業する事で月5万円くらい収入が増えたとしても、進んで残業をすることは無くなりました。

アメリカの経済学者であるるリチャード・イースタリンは、「GDP(所得)の伸びと幸福度(満足度)は一定の所得水準までは正の相関関係が見られるものの、それを超えると相関関係が見られなくなる」といういわゆるイースタリン・パラドックス(通称「幸福のパラドックス」)というものがあります。つまり幸福度を測る物差しとしては、収入という指標は限界があり、下表の様に「GDP」と「生活満足度」は、GDPが一定の水準を超えると両者は乖離するという結果となるのです。

出典:内閣府「国民生活白書 平成20年版」
「国民生活選好度調査」

日本では年収は800万円くらいまでは、年収の上昇とともに幸福度が上がると言われていますが、生活レベルが上がることで人の物欲もそれと共に上がってしまうので、年収が上がったとしても幸福度は年収と比例して上昇することはありません(むしろ労働の負荷が上昇し、ストレスが溜まってきます)。この状態が、「順応仮説」と呼ばれるものです。

例えば住む場所一つを例にとっても、東京都以外に住んでいた頃は東京に住みたいと思い、東京に住めるようになったら今度は23区内に近づきたい、それをクリアしたら都心3区…次は港区…次は六本木…と言う様に欲望は留まる事を知りませんでした。みなオジ自身マンションを購入するときは「これが最後(アガリ)か…」と思うのですが、いざ契約書にハンコを押すとまた次の物件が欲しくなる…という終わる事のない螺旋に巻き込まれていました。まさに、今の状況に慣れてしまい、更に上を求めてしまうという状態です。

お金の問題との折り合いのつけ方

心の充足が大事

年収が高くななるとともに高まる己の欲求とどの様に折り合いをつけるかが、自身の幸福度を高める方策です。一番手っ取り早いのは、お金以外の生きがいを見つける事です。自分自身に関する事(自己啓発や趣味に時間を費やす)でも良いですし、(家族を含め)他者との繋がりを深める事やボランティア活動に励むといった社会貢献でも良いと思います。

生活するうえで十分な稼ぎを得ているなら、これ以上、稼ぎを増やそうとして出世のため残業をこなすよりはその分早く家に帰って家族との触れ合いがあった方が充実した人生が送れるとは思いませんか。また、高収入を得ていても、その仕事に意義を見出せなかったり、自分をすり減らす様な働き方をしているのならば、多少年収を落としてもよりやりがいのある仕事に転職する方が幸せではないでしょうか。

みなオジの周りにはお金は十分に持っていても、家族との関係性がボロボロな人も見てきましたし、過酷な労働で身体や精神を壊したことで唯一の拠りどころとしていた仕事さえ手放さざるを得ない状況になった人も多くいます。

この様に働く目的が「お金」そのものから、「経験を積み自分の専門性を高めたい」もしくは、「仕事を通じて自分を多くの人に知って(認めて)もらいたい」、「人の為に役に立ちたい(やりがい)」という欲求に置き代える事が出来るかが大切なのではないかと思うのです。

その様な頭の切り替えができると自ずとに労働に費やす時間が減少し、会社への依存度も低下し、自分らしい幸福な人生を送る事が可能となります。もちろんその様な事が出来るのは、十分な稼ぎがある人だけであり、その他大勢の中流世帯の働き手はその様な贅沢を望む事は難しいでしょう。

そういう意味で、お金というのは多くても少なくても、人を惑わす厄介な存在と言えるでしょう。

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港区オジさん(みなオジ)です。
長い極貧オジさん生活を経て、いつの間にか小金持ちのアーリーリタイアオジさんにクラスチェンジしました!
投資家と司法書士の肩書を有する一方、妻の尻に敷かれるちょい駄目オジさんの異名も持つ。