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退職遍歴その1のあらすじ
みなオジの汚い退職遍歴を紹介するというテーマでお送りしています。その1はこちら。
20代でリストラされたみなオジ、ここからリベンジかと思いきや、安定の超低空飛行が続きます。それでは、2社目以降をご覧ください。(なお、途中から職歴紹介ではなく、派遣社員制度の説明になっていますが(計画通り)、ゆったりとお付き合いください。)
雇用形態 | 勤務年数 | 退職理由 | 退職時年収(1年未満の場合は見込み) | |
1 | 正社員 | 3年 | リストラ | 450万円 |
2 | 派遣社員(数社) | 3~6か月 | ルーティン地獄 | 350万円 |
3 | 正社員 | 6か月 | 超長時間拘束&残業代カット | 400万円弱※含む残業代(100時間/月) |
4 | 派遣社員 | 4年 | リーマンショック派遣切り | 400万円 |
5 | 正社員 | 6か月 | ブラック&パワハラ | 350万円 |
6 | 契約社員 | 6年 | 自己都合(転職が決まったので) | 600万円(管理職) |
7 | 正社員 | 6年 | 自己都合(独立&アーリーリタイヤ) | 900万円(管理職) |
2社目の転職の経緯
1社目を退職後、みなオジは司法書士受験の「専業受験生」になりました。つまり、2年ほど仕事をしていない状態で資格試験に集中しました。ここから、華麗に司法書士に転職と行きたかったのですが現実は甘くなく、短期合格することはできませんでした。こうして、「華麗」な転身ではなく、単に2歳「加齢」したという状況となり、また手元の退職金も心細くなるという追い打ちも加わり、そろそろ働かなくてはという心境に陥りました。しかし、1社目を3年で退職し、資格試験に挑んだにも関わらずまだ成し遂げていない凡人が、転職市場でニーズがある訳がありません。しかも、この時点で司法書士試験をあきらめたわけでは無く、それなりに勉強時間も確保したかったこともあり、辿り着いた結論が「派遣社員」だったという訳です。
派遣社員制度があって助かった?
世間はいまだ就職氷河期を引きづっており、徐々に派遣社員が労働市場に進出してきた頃でした。みなオジ自身も派遣社員という働き方は未知の領域だったので、最初はお試し感覚で派遣会社に登録してみました。登録し、希望の条件を派遣会社に伝えると「顔合わせ」という名目の面接を経て、トントン拍子で派遣先に紹介されました。これまで正社員の面接しか受けてこなかったので、こんな簡単に仕事が見つかるのかと思った記憶があります。
どんな会社に派遣されたか
先に言うと、2社目といいながら半年の間に2~3社の派遣先が積め込まれています。1社当たり、大体3か月くらいで辞める(契約更新をしない)という事を繰り返しました。はっきり言って、業務内容としては何をしていたか全く覚えていません。それくらい無味乾燥な業務内容だったという事です。中でもすごかったのが、派遣されたのにしばらく仕事が無いからという理由で、出社後派遣先の社員から「試験勉強や読書などをしていてよい」といった謎の指示をいただいたので、ありがたく拝命したという記憶がかろうじて残っているくらいです。
そのうちの1社は、外資系企業で日本での事業が失敗して、日本での事業を畳んでいる最中の清算業務を行うという仕事だったと思います。この仕事は上記の特性上、終期のある仕事で、清算だけに生産性の無い(!?)業務でした。面倒な人間関係がないという事も派遣社員のメリットだと思いますが、派遣された職場のいくつかは人間関係以前にそもそもグループや連携という概念が無く、人と交じり合う必要がないような作業の連続で、仕事中それ程しゃべるタイプでは無いみなオジでも、若干人恋しくなった記憶があります。また、事業継続中は存在したであろう中核社員は既にその会社を離れたようで、仕事のマニュアル的なものはあっても、紙切れ1枚がデスクに残されているだけという超不親切モードで、残された人も、その残務の内容を知らないという雑な引継ぎ環境に辟易した記憶があります。(まあ、結局その程度の敗戦処理業務だったという事です)
やはり、それなりにやりがい・責任感のある仕事を任せてもらうには、それなりのポジションに応募しなければ」ならないという事は強く感じました。正社員的な働き方になれていたり、仕事自体に「意義」や「やりがい」を求める様なタイプだと、派遣社員という働き方は結構苦痛に感じるケースがあるのではないでしょうか。
気になる報酬は?
その当時の時給は1,800円くらいで、年間ベースにすると、300万円はギリ超えていました。さらにそこから残業をすれば400万円位は簡単にいく(しかも、残業自体強制されるものではない)ので、20代であればプレッシャーなく、正社員とさほど変わらない報酬を手に入れられるという、麻薬の様な働き方のように感じました。ただ、派遣先が派遣元である会社に支払う総額は当然多い訳で、総支払額の3割を抜かれているという構造的な仕組みを知ると、労働市場の最下層(一番弱い立場)である事を意識せざるを得ません。
派遣社員のデメリット
派遣のデメリットを挙げればキリがありませんが、①時間の切り売り、②スキルが身に付かない、③職務経歴として評価されない(されにくい)、④社会的身分の低さ(ピンハネビジネスの最下層)、⑤(不安定さからくる)信用度の低さが代表的な所でしょうか。どれも、メリットと表裏一体ですが、これらのデメリットを全て飲み込んだ上で仕事が出来るというのであれば、有用なシステムであるともいえます。
【①時間の切り売り】
例えば、①の時間の切り売りというのは、その人のスキルではなく、時間に派遣先はお金を払っているという感覚なので、20代の派遣と50代の派遣の単価は基本的に変わることはありません。つまり、20代の時は効率的に稼ぐことができますが、その単価は50代になっても変わらない事になります。(時間は全ての人に平等という事か…)
【②スキルが身に付かない】
②のスキルが身に付かないというのも、裏を返せばスキルが無くてもその仕事をすることができるという事ですし、その仕事の習得に時間や困難は要しない、つまり、業務以外の時間は全て自分の為に使う事ができるというメリットになる訳です。(そんなメリットが当時の自分には非常に魅力的でした。)当時、みなオジの周りにも司法試験目指している人が派遣社員の同僚に沢山いましたが、その人達は結局受かったのかな~?
ちなみに、スキルが身に付かないというのは、大袈裟ですね。少なくとも忍耐力は身につきました(結婚生活には大いに役立っています。)。
【③職務経歴として評価されない(されにくい)】
③の職歴に繋がらないというのは、もしかすると、一部の専門職では当てはまらないかもしれませんが、実際の経験から強く感じた事です。工場のベルトコンベヤの流れ作業を、会社のデスクで行うといった業務で、ひたすら延々と、同じフォーマットにデータ入力を行うという仕事です。なぜ、その様なデータがあるかは考える必要が全くありませんし、考えても時間の無駄です。はっきり言って個人的にはこれが苦痛で、これならまだ身体を動かす分、工場の流れ作業の方がましだと思ったものです。
【④社会的身分の低さ】
④は派遣社員の扱いの悪さに集約されますが、現代の「蟹工船」(著:小林 多喜二)とはこういう事なのか!と感じた瞬間でしたね。人格もへったくれもない話ですが、当時は派遣社員は派遣先で「派遣さん」と呼ばれることがありました。今だったらその人の常識を疑われる様なエピソードですが、昔はそんな不条理が蔓延していました。テレビドラマの「ハケンの品格」は脚色しすぎだろ、と思われるかもしれませんが、実際に派遣を経験すると、結構あるあるネタも多いので、あらためて作品を見返すのも面白いかもしれませんね。
また、前述の通り、自分に支払われる給料は、おおむね派遣元の会社が3割程度引いた後の金額です。派遣制度の仕組みを気にせず思考停止で働ける人は良いかもしれませんが、普通に考えて自分の稼ぎの3割も上納する(更に税金が天引きされる事を考えれば、6割しか手元に残らない)なんて、江戸時代の農民の「4公6民」状態です。時代が時代なら一揆を起きるレベルです。
【⑤信用度の低さ】
④と似て非なる問題に、⑤の信用度の低さがあります。特に若い頃は気にならないですが、クレジットカードを作る(→審査に落ちる)、結婚を考える(→周囲に反対される)、家の購入を検討する(→融資審査に落ちる)といった時に、派遣社員に対する風当たりの強さを痛感するのですが、大体気づいたときには手遅れという事が多いのです。④は社内の話なので、気にしなければよいだけの話ですが、⑤は主に対外的な問題で、実生活にモロ影響が及ぶ話ですので、「気にしない」では済まない問題です。
この様に派遣制度ができ始めた頃は、多くの人が上記のデメリットを感じていたにもかかわらず、手軽さや報酬の誘惑に負けてズルズルと抜けられなくなった、というパターンが多いのではないでしょうか。みなオジは派遣制度をよく「麻薬的」と評価しますが、目的や使い方を間違えなければ、有効な選択肢であると、今でも考えています。
派遣社員制度もまだ黎明期だった?
当時は派遣社員という働き方が今ほど浸透していないせいもあって、派遣先の企業側も派遣社員にどのような仕事を割り振るのかをあまり意識が向いていなかったと思います。そのため、先程の敗戦処理業務の様な(正社員にさせたら不満が出るだろう)超絶退屈な単純作業をさせる要員もしくは単純に正社員の補助として雇用していたと思います。
もちろん、全ての会社が派遣社員をそのように使っていたわけでは無く、この後派遣社員として働いていた会社は、派遣社員に限らず、非常に人材を活用するのが上手な企業で、派遣社員にもそれなりに人権というか自主性(=やる気)を認め、業務の生産性を高めるような働かせ方を意識していました。
派遣社員の風向きは変わった?
一部手厳しい表現もありましたが、これもみなオジ自身が経験したからこそ言える(言いたい)事です。今と当時の派遣社員事情は大きく違うでしょう。過去のトピック、同一労働同一賃金は定着するかでも記載しましたが、現在は少なくとも給与面では、不当な差別をすることが出来なくなりました。
さいごに
結局、みなオジの職歴は2社目しか説明していませんが、派遣社員に対する(ある意味、熱い)想いは伝わったのではないでしょうか。1社目と同じで、若いうちに派遣社員という働き方に触れていたおかげで、その後正社員や直接雇用で働けることのありがたみを知ることが出来ましたし、派遣社員を雇う側としての心掛けというのも理解しているつもりではあります。
最後に一つ言えることは、派遣社員時代は残業を強いられることも無く、自分の時間を満喫することが出来ましたが、ヌルい環境だった分、自己啓発に充てる時間が増えても、密度としては???という感じでした。人間はある程度ストレスを掛けないと成長しないと言います(特にみなオジは、その傾向が強いようです)。実際、派遣社員を足抜けした後、みなオジの資格試験チャレンジはいったん中止となりましたとさ。
みなオジの不思議な旅はその3に続きますが、そこでは派遣会社から人材紹介会社に登録を変えた上でどのような違いがあったか等を、書いていきたいと思います。