お金・仕事

子どもの教育の重要性について

投稿日:2022年5月29日 更新日:

日本は学歴社会ですが、重視されるべきは最終学歴であって、その前の学校(特に義務教育)選びはそれ程気にかけなくても良いという人が多いなと感じます。

勿論、地域によって教育環境・意識は様々であり、みなオジが子供の頃に住んでいた地域は小~中学校受験とは無縁でした(ただ、自分は小・中学受験はしました)。自分が今大人になってみると、可もなく不可もない学歴を歩んだと思います。しかしそんな学歴でも自分の実力だけでは到底手が届かなかっただろうし、逆に親から掛けられたパワー程は伸ばすことはできなかったな、とも思います。

今の自分の状況を振り返ると、果たして学歴というのはどれほど自分のパワーになったんだろうか?と思う事があります。なぜなら、(紆余曲折はあったものの)今の自分の状況はかなり恵まれていますし、自分よりも良い学歴に進んだ知り合いと比べても恥ずかしくない位置にいるのではと思います。だからと言って、学歴なんて関係なかったと言えるほど単純ではないと思っています。

関連過去ブログ:はじめまして!港区オジさんの「みなオジ」ですは→コチラ

つまり、自分がもう少し頑張って良い大学に進んでいたら更に良い状況にいられたのかなと自問する事があります。学歴で得られるのは、知識や第三者からの評価のみならず、交友関係とそれに伴う自分のポリシーも違ったものになっていたはずで、例えば、政治家をやっている同級生から「オマエ、次の国会議員選挙に出てみないか」等という勧誘を受ける可能性もあったのかな等と妄想してしまいます。

自分の将来はどう転ぶか分からない訳で、運の要素だったり就職氷河期などのタイミングの問題で、良い学歴を得たとしても就職活動中や入社後に辛酸を舐める人はいるし、逆にどのような状況からでも卒業後の努力次第で挽回はできる訳です(事実、みなオジ自身の人生がそうでした)。しかし、そう考えてしまうと、努力のし時が分からなくなってしまいます。

時代は巡り、いざ自分が親の立場となり子供がある程度育ってくると、どのように勉強に向かわせようか教育方針に悩むことになります。「自分がそうだったから同じようにしろ」と言うのも思考停止的で嫌だし、自分と子どもは別人格なのだから自分に当てはまることが子供にも当てはまるとは言えず、「そもそも自分の子供時代は正解だったのか?」と問われると自信を持って答えられません。妻との考えのギャップにもぶち当たりますしね。

嫁ストップならぬ、嫁ゴー

以前は子供自身の問題だし、自分に決めさせようと思っていましたが、大学受験ならいざ知らず、小学校受験だと本人の判断能力が無きに等しいので、結局スタートラインは親で設定せざるを得ません。個人的な経験則からは就職活動中には学歴の恩恵にあやかれたと感じる一方で、その後のドロップアウトからのリカバリーという人生を辿る中で、そこまで学歴に固執する必要もないのではという結果でした。しかし、上に挙げた様に、みな嫁は見事に正反対の意見で、3歳くらいから月10万円掛かるくらいの名門小学校受験教室に行かせるという要求を突き付けられました。

さすがに3歳からは早いだろ~と妻に再考を促したのですが、その受験教室に通わせたからと言って、必ずしも受験をさせる訳ではないという、詐欺師の様な理論に懐柔させられてこちらが折れることになりましたが、その当時は結果がどうであれ通わせたこと自体は悪くはなかったなという結論に至りました。

ちなみに、みな嫁はみなオジよりも高等教育を修めています(頭がいいとは言っていない)が、一般的に子供への受験などへの投資額は、父親よりも母親の学歴と正の相関関係があるという調査結果が出ているそうです。

渋々始めた受験シフト

教室に通わせるからには意味のある期間にしようと、親であるみなオジも色々な受験関連書籍を読みました。まあ、月10万円という学費がサービス内容に見合っているのかを確認するという意味合いもあったのですが(セコイ!)。ちなみに、みなオジは地方出身なので東京の受験事情は知る由もなく、私立校の教育方針や学区内の公立校の評判や他の家族の経験談を勉強する所から始めてみました。

この中で参考になった意見としては、受験教室で学ぶことは小学校の受験に合格するものというよりは、基礎的な思考力や手足の使い方、はたまた集中力の鍛錬といった人間の基礎力を養うものと言え、子供がピアノ教室に行ってリズム感覚を育てる事や体操教育に行って体幹を鍛え、バランス感覚や柔軟な身体を作るのと同じだという事です。つまり、小さなうちから、勉強やらされて可哀そうとかではなくて、社会性や困難にぶつかった時の解決力を育てるという人間の必須能力を高めるという感覚で通わせると、いわゆるお受験脳に陥らずに子供と共に楽しめる時間に出来ると言う様に考える事にしました。

とはいえ自分の経験上全く学歴を否定するつもりも無いものの、通わせた当時は3歳から教室に通わせる必要性があるのか疑問視していたので、しばらくの間半信半疑の状態だったのですが、最近になって一つの考えに至る様になりました。

子供にとっての学校は「大人の職場」と同じ

それは、子供にとっての学校って、我々大人に置き換えれば「職場」と同じなんじゃないの?という事です。自分たちは大学を卒業して、新卒で入る会社は結構本気でリサーチしたと思います。一般的には知名度があって、最新技術を持ち、提供サービスが高い企業に人気が集中したと思います。特に日本の場合は新卒一括採用が主流なので、新卒カードをつまらない企業に使ってしまうと、負のスパイラルから抜け出せなくなる可能性が高かったという記憶が強く残っているのではないでしょうか?

また、ブラック企業に入社すると、長時間労働パワハラ・セクハラも常態化していて、精神を病んだり、最悪自殺をしてしまう社員も出てきます。

この様に自分たちがブラック企業には絶対に入りたくないという強迫観念にも近い想いは、我が子に置き換えれば環境が荒れた学校に入学させたくないという事に通じるのではないでしょうか。冒頭で、学歴は最後の帳尻、つまり大学で良いところに入れば高校までの学歴なんてどうだって良いという考え方もあると書きましたが、実のところ我々の就活と何ら変わりなく、最初に就活に失敗してブラック企業に入ってしまうとそこから抜けだすのに苦労するという事になるのです。

では環境が良い学校とは何か?というのは、意識が高い関係者(つまり学校では教員・生徒・保護者)の多い、私立校が良いという当たり前の結論になってきます。なぜなら、全員がかなりのお金をかけて選んだ(むしろ選ばれた)学校なのですから、荒れる要因が絶対的に無いのです。(最悪、学校を荒らす要素(生徒はもちろん教職員も)を排除する仕組みが義務教育であっても私立校であれば確保されている為、その点でも安心が担保されています)

一応、誤解の無いように言いますが、みなオジは公立校を否定したり優劣をつけるつもりはなく、あくまでも確率論的に私立校の方が環境に恵まれていると言っているに過ぎません。公立でも港区・千代田区の公立校は富裕層の子女が多い為「半私立化」状態と言え、校内が荒れる要素は少なく、下手すると中堅の私立校よりは環境が整っているケースもあります。

言い換えれば、我が子が有名私立校に合格して入る事ができても、子供自体がその学校の雰囲気・先生の教え方に合わない可能性もありますし、イジメだって公立より認知件数が少ないというだけで、名門私立校でも運悪くイジメの当事者になってしまう事は(確率は低いながらも)あり得るのです。

いい大学を目指すのは良い会社に入る為だと考えている人ならば、当然、新卒採用時に良い会社に入れなければそこからの挽回が難しいという事を理解できている人であると言えます。であれば、小学校でハズレを引いてしまうとそれが大学進学まで尾を引くという事も同様に理解できる訳です。つまり、大学さえ良いところに入ればノープロブレムなのかもしれませんが、大学は小学校(もしくは幼稚園)の延長線上にあるという事も理解すべきなんでしょうね、という結論にたどり着きました。

もちろん受験に対する考え方に正しい間違いはありませんし、各家庭の経済状況や子供の意思もしくは地域差もあるので一概にこうあるべきとは言いませんが、みなオジ的には「学校も会社もおなじ」理論という結論に至ったという事です。この理論だと子供の時から気が抜けないなぁ…と憂鬱に感じられるかもしれませんが、少なくとも子供の頃はいくらでもリカバリーできますし(むしろ早く気付けてラッキーとも言える?)、有名私立校が合わないから中学校からはまた公立校に戻ったとしてもそれは都落ちという事にはなりません。むしろ、子供に合わない環境で無理をさせる方がよっぽど問題でしょうね。

会社というのは、言っても大人の集まりなので、質の悪い同僚が多くても、自分の意志の力で悪影響を受けずにやっていけると思いますが、いかんせん子供の時は良くも悪くも染まりやすい(つまり余白部分が多い)ので、環境の悪さがその子供の将来に悪影響を与える可能性が非常に高くなるので、神経質になるべきはむしろ子供の学校選びであると言えます。

さいごに

最近では日本も格差社会と言われていますが、アメリカやイギリスに比べるとまだ格差は少ないと言われています。これらの格差社会もしくは更に強烈な階級制度を社会の仕組みとして有する国では、私学志向が高いです。つまり、富裕層(上流階級)は一定レベル以上の私学に通わせるのが一般的ですし、貴族階級ともなると名門のパプリックスクールに通います。労働者階級はそもそもその門をくぐることも許されない(というか、親の収入的に無理な学費を設定している)という、敢然たる階級の壁を打ち出しています。

その点、日本であれば貴族専門の学校というものは公式には存在せず、名門校であっても誰もがそこを受ける事ができ、入学後に門地(家の格式や育ち)で差別されるという事にはなりません。

つまりどの家庭の子女も一応横一線で平等に競争する事ができるのです。日本の受験戦争は大変だと思っている人もいますが、むしろ努力が報われる社会で個人的には優しい社会だなぁと思ってしまうのですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。

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みなオジアバター

港区オジさん(みなオジ)です。
長い極貧オジさん生活を経て、いつの間にか小金持ちのアーリーリタイアオジさんにクラスチェンジしました!
投資家と司法書士の肩書を有する一方、妻の尻に敷かれるちょい駄目オジさんの異名も持つ。