「人生100年時代」と言われている。確かにそうだと思う。みなオジの家系も長生きな方だ。きっと、悩みが少ないのだろう(決めつけてスマン…)。しかし、いくら人生が長くなっても有限である事には変わらない。今回は、その有限な人生を効率的に無駄なく生きようという事をテーマに話したい。
人生を長く楽しみたいと思うのならば、命を可能な限り伸ばすか、無駄な活動を捨てる(減らす)という2択しかない。人生におけるいらないものに毎日6~7時間は取るであろう睡眠時間があるが、寝るのが趣味であるみなオジはそれを捨て去ることはできない。
「ショートスリーパー」というのには憧れる。おそらく、今の科学で睡眠を減らす技術は出せないのではないか(冷凍保存か魔法の粉は除く)。であればどういった時間を減らせるのかを考える必要があるだろう。まず、仕事の時間を減らすというのが思いつくが、雇われの身には定時時間の前に帰る権利はない(社畜的発想)し、そもそもワーカホリックならば、その時間はもはや趣味の時間である。そんな御仁は「働き方改革」の波に逆らって、どうか他人の分までガンガン働いてほしい。
自営業は事実上、24時間仕事から逃れられない。純粋なプライベートが少ないのはサラリーマン以上につらい。これは自営業をしなければわからない事で、社内のストレスの方がよっぽど楽だったのではないかと感じるくらいだろう。
準アーリーリタイアの身分とはいえ、みなオジも3割くらいは自営業の身なので、8時間くらいは仕事に神経を費やす必要がある。できれば、仕事にとらわれる時間は4時間くらいに抑えたいのだが、仕事というのは不思議なもので、充実した生活、張りのある毎日のために0(ゼロ)にはしたくないのである。休みの日というのは、働く日があるからこそ価値があるのであって、毎日が休みになったとしたらゾッとするのだが、社畜として働いている時は中々それに気が付くことができないのである。まあ、それも人生の真理であるのだが…
みなオジの収入で自営業(司法書士)が占める割合は全体の3割にも満たないので、正直仕事をしなくても生活に困ることはないのだが、やはり仕事をすることで得られる達成感や人との交流、社会貢献(対価をもらっているが、その中で依頼者への付加価値を最大化するという意味)は、労働もしくはボランティアでないと達成できないのだ。
そうすると、減らすべき時間はおのずと見えてくる。まず一つは、家事や雑用である。日用品の買い物はネットで済ませるし、安売り店舗を走り回らずともベストレートで購入することができるので、お財布にも優しい(但し、買い過ぎになるのが玉にキズ)。食料品についても夕時にスーパーをはしごして、タイムセールで数10円ほど安い野菜を買って悦に浸るのも、まあ楽しいと言えば楽しいが、残念なことに私の住む港区は、はしごするほどスーパーがない。あっても、メジャー系列のミニスーパーなので、価格はほぼ同じ。食事も究極は弁当か外食が時間短縮には良いのだが、そういう事ではないのは何となく理解できるのではないだろうか。(ヒント:健康、団らん)特に、健康を損なうと、経済的にも時間的にも大きくロスすることになるのでご注意を。
みなオジは、新「医・職・充」を、勝手に提唱しているのだが、「充」は「充実した生活」という何ともこじ付け的なワードである。「充実」とは、必要なことには十分に時間とお金をかけて、それ以外の部分は出来るだけ省力化もしくは委託してしまいましょうという考えだ。私がマンションを住まいに選択している理由も「資産性」だけでなく(勿論重要な要素)、生活を極めて充実させてくれるツールと考えているからである。
もちろん戸建の素晴らしさもみなオジは知っている。というのも、みなオジは大学で上京するまで親の建てた戸建住宅で暮らしていたから、隣、上下の騒音トラブルとは無縁の生活、広々とした庭に植えられた樹木、そこで駆け回るペットとのふれあい等、戸建の素晴らしさも体感している。その経験をもってしても、やはりみなオジはマンション派なのである(特に都心部であれば)。もちろん、賃貸仕様のちゃちな共同住戸では意味がない。あくまで、中級クラスの名の知れたデベロッパーが企画したマンションでなければダメだ。高級~最上級のマンションに住むと、戸建には住めなくなる。
さて、今回はここまでにして、後編は私が実際に触れて手放せなくなった住宅設備について語ることにしよう。