お金・仕事

企業における「働き方改革」「多様性の尊重」を考える

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みなオジは、主義主張の無い人間ですが、世の中の「不平等と格差」は、解決しなければならない問題と思っています。今後「不平等と格差」が広がれば、社会は断絶と混乱に向かい、結果的に貧困層だけでなく、富裕層にとっても不都合な世の中になると考えています。

不平等と格差の問題は年々大きくなっており、小手先ではもはや根本的に解決できない位にまで日本も突入してしまっているのではないでしょうか。報道をみると、世代別平均所得や平均貯蓄額を示し、氷河期世代が低い(下がっている)といった統計が出されていますが、マスコミはこれを報道する意図は何なのでしょうね。「俺たちは、こっち側だ」と安心したいのか、「俺たちだけが割を食っている」と嫉妬心を煽り、世論を動かしたいのでしょうか?動機はどうあれ、この事が、いたずらに世代間の分断を進めている認識を少しは持ってもらいたいです。そもそも論ですが、低成長の時代に「所得だ」の「貯蓄だ」のという一方的な価値観の物差しで幸せを測ることが妥当なのでしょうか?

こういう偏重的な報道が過熱すると、持つ者と持たざる者の間における関係(対立)性がより浮き上がらせることになります。富の偏重が加速して、一部の人間だけが更に富み、それら以外の人間は更に貧困にさらされるといった様になるでしょう。しかし、その様な社会では限られた富や食糧を巡って、争いが各地で起こり、巡り巡って富裕層にも悪影響を与えるでしょう。(このままでは結果として、「誰も得しない状況」になりますが、誰も今の状況を止めることはしません。というか、ちょっとやそっとじゃ、この流れは止まらないといった方が正しいのかもしれませんね)

みなオジの拙いイメージは:格差・貧困の行く末は「北〇の拳」の世紀末の感じ(ヒャッハー!)

現在の富裕層のほとんどは、会社経営者、投資家ですが、実体経済に影響を与える存在としては、会社経営者が一番身近な存在ではないでしょうか。彼らが会社の従業員に対して、多様な価値観もしくは働き方に導くことが出来れば、少なくとも彼らの「精神的な」不平等感は解消されると考えます。ここでいう「精神的」とは、人生をより豊かにするものはお金だけではないという考え方へのシフトチェンジです。つまり、従業員に賃金を上げることは自分達や投資家の分配可能額を削る事ですので、なかなか踏み切ることができないと思いますが、彼らが与えることができるのは何もお金だけではないでしょう。彼らが従業員の労働に報いる術は「働き甲斐」だったり、「余暇」に振り分けることも可能なわけで、富裕層である経営者が率先して新たな価値観を提起することで従業員の幸せの選択肢も自然と増えてくるのではないかと思うのです。

企業が拝金主義に走り、従業員のケツを叩いて彼らを仕事人間に変えてしまう事は、より貧富の差を広げることになるでしょう。その結果、会社経営者の企業の業績は一時的には増えるかもしれませんが、長い目で見れば、先程の理屈の通り、格差の問題が表面化して世界的な停滞に導いてしまい、大きなブーメランとなって企業の業績を落とすことになると危惧しています。

「平等」の定義とは?(法律的に考える)

不平等・格差を論じる前に、まず「平等」の定義を明確にしましょうか。 平等とは、「形式的平等」と「実質的平等」、いわゆる「機会平等」と「結果平等」があることから、両者の関係性を整理する必要があります。そうすることで、いずれの不平等を問題として捉えるか、それとも、両者のバランスの程度問題として調整すべき問題なのかが見えてくるのです。

日本が憲法で定める「平等」の原則とは、「形式的平等」(あらゆる人を平等に扱う)を理想としながら、全ての人に対して機会を平等に与えたことによって生じた格差を修正する形で、格差により生じた社会的経済的弱者を国の政策で保護し、人の活動結果を平等にするという「実質的(結果の)平等」を意味しています。しかし、バブル後の失われた20年の間に、社会的弱者を救うどころか、雇用体系を分断して社会的弱者を意図的に生み出した行政の責任は非常に重いと思います。行政と企業を並列に論じることはできませんが、企業(特に大企業)は障碍者雇用含む雇用や厚生年金等を通じて「公共の一翼」を担うべく、政府からいろいろな要求を押し付けられてきたこともあり、企業における格差問題だけ切り取って、「やれ、派遣切りだの、同一労働同一賃金だ」と、さも企業の怠慢だという論調に傾けるのは筋違いだと考えています。

人生における勝ち負けとは?

もう一つ、格差の問題を語る上では「勝ち、負けの定義」も明確にする必要があるのではないでしょうか。つまり、不平等の代表例として「貧富の差」が取り上げられていますが、「富=勝ち」、「貧=負け」という単純な論理で良いのかという価値観の領域に踏み込んだ上で議論しなければ、不平等・格差の表面的な問題しか解決しないでしょう。

実例を上げれば、大企業に勤務し貧困とは程遠い人間であっても、人間関係の狭間で精神を病む者は大勢いるし、一方で、収入はそれなりであっても、自分の趣味の時間を楽しみながら生き生きと働いている者もいます。高度経済成長期を過ぎた日本において、富の獲得だけが幸せと決めつけてしまうと、そこから漏れた人を中心に社会全体が閉塞感を感じてしまうでしょう。

それを回避するため、日本政府は「働き方改革」や「多様性の尊重」「女性の躍活躍(社会進出)」といった言葉を提起し、富以外の価値観を再認識させる様に我々を誘導している気がしてならないのです。

上記を踏まえて、企業側にも「同一労働同一賃金」を求めたり、人生100年時代を標榜して「副業推進」を促し「定年延長)」としてシニア活用を図る様働きかけています。

【定年延長】年齢の縛りなく働ける
【女性の活躍】女性も安心して働ける環境を整えました。これからは女性も輝く職場を目指しましょう!
【副業推進】一つの会社に縛られない
【同一労働同一賃金】正社員/非正規雇用の別なく、成果で評価される

一見、これらを見ると、労働者側の権利が強くなった様に感じますが、これって本当は逆なんです。労働者は更に追い詰められているんですよ。このことに気づいている人ってどれだけいるでしょうか?

【定年延長】年齢の縛りなく働ける→貧乏人には穏やかな老後は無い
【女性の活躍】女性も安心して働ける環境を整えました。→専業主婦?いつの時代の夢を語ってるの?働ける環境は整えたんだから、頑張って働け!
【副業推進】一つの会社に縛られない→会社はお前らの給与を十分に出せないから、夜中も土日も働けよ
【同一労働同一賃金】正社員/非正規雇用の別なく、成果で評価される→非正規社員よりパフォーマンス出せない正社員は給料下げます。(但し、非正規社員の待遇も変えません、パフォーマンス低ければ契約終了です)

政府の本音は↑ココ(赤字部分)ですよ。これってむしろ、従業員側がハードモードになってますよね?

つまり、会社側の本音は、「もうあなたたちは最後まで面倒見ることが厳しくなりました」と白旗を挙げているという事です。それでも、皆さんは会社に滅私奉公しますか?まあ、サムライ根性みたいでかっこいいですが、何も対策もせずに美徳を貫くのは、あまりに危機意識に欠ける行動に思います。こんな状況だからこそ、今までの滅私奉公型の働き方から新しい形の働き方(スキルの獲得)にシフトしなければいけないと思う訳です。

日本では世界でも珍しい「終身雇用制度」を柱とした雇用社会でした。なので学生が学校を卒業をして企業に就職をすると、その会社の部署をローテーションしながら色々な種類の仕事を覚えて、その会社のことであればなんでも分かる、つまり会社色に染まった「ゼネラリスト」を育てていました。

一般的な日本企業では、就職(ニュアンスとしては、「就社」の方が正しいです)した新入社員は、丁稚の様な立場なので、どれだけ仕事が出来て有能でも、「見習い」として給与は最低給与からスタートする事になります。また、一定の年齢までは「修業期間」なので差が付くこともありません。それでも、社歴が長くなるにつれて、給与や肩書が上がる給与体系を約束されていたので、誰ひとり不満を漏らすことなく、会社に尽くしていったのです。

しかし時は移り、高度成長期が終わると共に企業の成長、ひいては企業体力は失われていき、戦後の日本を牽引してきた名門企業であってもいつの間にか大量の新入社員を定年まで抱える事が難しくなりました。この為、若い頃から薄給に耐えて、やっとおいしい思いができる様になった時に、ポストも無く、給料も頭打ち、運が悪ければ給与削減、出向、最悪のケースはリストラという扱いを受ける様になりました。

しかし、これだけ献身的に尽くした自分を見捨てたこんな会社に復讐(より給与の高い転職して見返す)しようにも、残念ながら彼らにはその会社でしか活かせる人脈、知識、スキルしかないのです。こうして、旧態依然とした会社で大量生産されたゼネラリストは特に武器も持たず、転職市場に放たれるのでした。彼らが、再就職に苦しんだのは、説明するまでもありませんが、一番の悲劇は年功序列型給与で上がり切っていた彼らの給料と労働市場における価値が全く以て釣り合っていなかったという事でしょう。

これからのサラリーマンの生きる道

今回のトピックでは、このような終身雇用、年功序列型給与制度が失われた中で、サラリーマンとして新たな働き方や処世術を模索しましょうという話です。

ジョブ型だろうが何だろうが、自分の価値が高まれば何ら心配ないのです。

①所得格差を受け入れる事

近時、企業の雇用形態はメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用に転換されて久しいですが、ジョブ型の特徴ではその従業員の技量(「スキル」という呼び方はやや抽象的なので、ここでは「スペシャリティ(希少性)」という意味で捉えてください。)で報酬が変わるのが通常です。イメージとしては電車(動力源である機関車とそれ以降の引っ張られる客車や荷台)です。同じ組織でも仕事が違えば当然、対価も異なるという考え方です。対価が異なるのも当然で「機関車の報酬が高すぎると思います。私の報酬もそれに合わせて下さい」と、引っ張られるだけの荷台が言っている様なものです。「そんなセリフは自走出来てから言えよ!」もしくは、「その報酬が欲しいならあなたも機関車になりなさい」という事になるでしょう。

ジョブ型雇用の特徴

ジョブ型雇用では会社組織の中核となる「コアジョブ」の存在が前提となっていて、そのジョブを必要な部署は結果として、替えの効かない企業の花形部署となります。

これまでのメンバーシップ型雇用で勤務する人の感覚では、「花形部署に行けて羨ましいな、給料も高いし…。なんであいつが花形で俺がこんな部署にいるんだ!」という事になるでしょう。このようなモヤモヤ感は、花形部署にいた人が同期だったり、以前同じ部署で働いていて、ある意味同じ土俵にいたから湧き上がる感情とも言えます。同じ社内であっても最初から別々の枠で採用されていれば、張り合って出世を争ったり、嫉妬の対象にならない事になります。

メンバーシップ型雇用は、ゼネラリスト養成機関

従前のメンバーシップ型雇用では、新入社員はゼネラリストとして時間をかけて育成され、入社から退職まで部署異動を繰り返しながら幅広くスキルを向上させていきます。その為、専門性を追及する事は研究職などの一部の職種を除いて難しく、また、部署により給与ベースが違うという事はあり得ません。この様に、一律に同一の雇用条件で平等に育成するという事は、同じようなタイプ・レベルの社員を増やせることから、会社として一体感を持って目標やミッションに向かう事が出来るという利点があります。一方、弊害としては出世争いが起こりやすく、しかもスキルがほぼ変わらなので、出世争いで頭一つ抜けるには社内営業ゴマすり等つまらないところで、エネルギーと気を消耗しなければならないのです。

でも、逆に言えば、ジョブ型雇用の特徴そこ(給与差、ジョブの固定化、リストラリスク)さえ受け入れてしまえば、世知辛いサラリーマン生活も非常にラクになります。なぜなら、ジョブ型に移行してしまえば、同年代の同僚との比較をする事は、お互いの「ジョブが違うから」意味をなさなくなる為です。つまり、同僚と給与差が生まれるのは、能力が高い低いではなくて、自分が携わっているジョブに提示されている報酬額が低いだけの違いなのです。この様に考えることができれば、同僚との無用な軋轢、ひがみ、足の引っ張り合いといった出世争いを回避できるのです。また、自分の持ち場さえこなしていれば、評価の対象となるので、自分の仕事さえきちんと終われば、文句を言われる事無く帰宅でき、無駄な残業や他部署の応援等も不要なのです。

ジョブ型雇用のメリットは上記に限らず、これまで仕事に100%全振りしなければならなかった自分のライフスタイルを(例えば、ジョブの難易度やプレッシャーを抑えて)趣味や家族に分散しようといった選択肢も取ることが可能になったのです。メンバーシップ型雇用でも、家庭重視のパパママリーマンはいましたが、仕事と家族を両立できる人は、元々かなり優秀な人か、一部の恵まれた大企業に勤める人だと思います。

ジョブ型雇用では仕事の負担を自分自身でコントロールできることにより、給与はそれなりでも精神的、時間的ゆとりが生まれ、幸福度も高まるのです。幸福度は何も金銭的な充実だけで図るものではないのです。仕事はバリバリで、お金にも不自由していないにもかかわらず夫婦仲が最悪で離婚してしまった人をみなオジも数多く見ていますが、ジョブ型雇用が浸透することでワークライフバランスも実現しそうです。(もっとも、経済的に苦しくて家庭崩壊する家族も多いのですが、それはまた別の話という事で…)

②能力格差からくるリスクを受容すること

高度成長期の日本企業は、メンバーシップ型人材、つまり会社に忠誠を誓い、滅私奉公してきた社員を(多少の能力差があったとしても)重用してきました。古い体質の会社でも能力のある者はより速く出世しましたが、能力が低い社員に対しても(彼らも会社の家族の一員なので)見捨てることなく、企業はそれなりのポストを用意することで、彼らの長年の奉公に報いることができた訳です。しかし、現在の低成長市場において、企業は全ての社員に報いることはもはや不可能となりました。 ジョブ型雇用により社員間の能力格差が加速したので、リストラの対象となる確率も増えるので、社員はリストラというリスクについても、きちんと対応・準備しなければいけなくなったのです。

後段でも述べますが、給与が下がることを見越して、副業に取り組むのも一つでしょうし、資格取得等の自己啓発に取り組んだりというのも良いでしょう。いずれにしても、今働いている会社からいつ放り出されても良いように準備をしておくことが大切であるのです。

そもそも論ですが、ジョブ型雇用では「終身雇用」は保障されないので、結果的に労働力の流動化が前提となり、転職回数が多かろうが、そのジョブのスキルさえ維持しておけば、職にあぶれることは基本的にない事になります。つまり、給料の高望みさえしなければ、無職になるリスク自体が無いとも言えるので、「能力格差からくるリスク」というのは、(スキルを上げていかない限り)報酬が固定される事か、AI化によって自分のジョブが機械にとって代わられる事くらいかもしれません。

企業側が取り組まなければならない事

「社員の能力格差と所得格差」に対し、社員だけでなく会社も変容しなければいけません。

社内の制度作り(副業許可)

一つは、前段で述べたリスク受容の為に、社員が行うチャレンジを後押しする制度を整えることです。例えば、社員の副業を認め、そのためのルール整備等が会社側に求められる役割と思います。いくらジョブ型で相互に依存しない関係を作ると宣言しても、実態が伴わず、社員を社内に囲い込むようなメンバーシップ型雇用の残滓があると社員はどうしても会社依存体制から抜け出せなくなるでしょう。ジョブ型を取り入れることで、終身雇用を放棄というメリットを享受するわけですから、企業としてもある程度の妥協は必要ですし、また、副業を認めることにより社員の主体性を高める効果もあり、それが会社に還元されることも期待できます。

年功序列などのジョブ型に合わない制度をドラスティックに変える努力

ジョブ型雇用に転換したことで生じる給与格差は、ジョブの違いに過ぎない事から、冒頭の「形式的平等」には抵触しませんが、希望部署に異動できる体制が未整備だったり、そのジョブに必要な資格・条件・基準が不明瞭だったり、人材の囲い込み等といった企業風土により条件を満たす社員が望む異動が妨げられる場合だと、「実質的平等」つまり「結果平等」が担保されない事態となって、この制度は破綻します。ジョブ型雇用が主流となっているからといって、古い体質の企業も追従して上辺だけのジョブ型雇用を取り入れたとしても、年功序列制度を少しでも残せば現場は混乱し、社員のモチベーションは駄々下がりとなるでしょう。

評価基準とキャリアパスを示す

ジョブ型雇用に移行するという事は、これまでの出世ルートとは別ルートが出現した事に他ならないので、企業はこれまでの(ある意味、ぬるま湯の)メンバーシップ型に染まり切っていた社員に対して新たな評価基準を示さなければなりません。しかしながら、評価方法の提示だけでは不十分でなのは明らかです。多少生々しい話ですが、会社が示すべきは、社員が出世ルートを望まない(もしくは、出世できない)場合の道筋ではないでしょうか。ジョブ型雇用はメンバーシップ型の様に全ての社員を同等に扱う制度ではない以上、役職ポストがあっても社内に適任者がいなければ、外部からの人材登用が当たり前となります(当然補充した分、余剰人員のカットが生じます…)。この結果、社員間の格差、生き残りは激化することから、会社は早急に社員に対し「別の生きる道(キャリアパス)」を示す必要があるのです。

具体的には、会社に残るために必要な能力を明示し、ジョブごとに職務記述書(JD:ジョブ・ディスクリプション)を示しておく事です。

JD(職務記述書)とは・・・ジョブ・ディスクリプションに記載される代表的な項目は、職務のポジション名、目的、責任、内容と範囲、求められるスキルや技能、資格など。特に職務内容と範囲については、どのような業務をどのように、どの範囲まで行うかといったところまで詳細に記述される。また、各社員の職務の成果は、ジョブ・ディスクリプションに記述されていることができたかどうかという客観的な基準で判定されるため、評価への不満や不公平感が起こりにくくなる
欧米では当たり前に行われているものです

「働き方改革」「多様性の尊重」

その代表的な考え方が、「働き方改革」であり「多様性の尊重」です。

「働き方改革」で社員の拘束を減らし、「多様性の尊重」を認めることで社員の不自由さを緩める方針は、一見、日本企業の強みに逆行する様な取組みをしている様にも思えます。しかし、多様性を尊重することにより、むしろ、社員は会社に依存しない生き方に移行できますし、会社自体もモチベーションの高い集団を維持することができ、Win-Winの関係を構築することが可能となります。

「多様性の尊重」の趣旨は、これまで日本のサラリーマンの美徳であった「仕事人間のスタイル」を否定するものではありませんし、会社に依存しない生き方も、社員のモチベーションの低下に直結するものではありません。なぜなら仕事に没頭する動機は、必ずしも会社への貢献を伴うものではなく、①自身のスキル向上、②承認欲求、③よりプロフェッショナルなレベル(報酬を含む)で仕事に携わりたいという挑戦心といった、自分自身をより高みに置きたいという動機でも間接的には会社の利益に繋がるからです。むしろ、「自分が一生懸命尽くしているんだから、会社も報いるべき」といった主観的で不純な動機がない分、ダイレクトに成果に跳ね返ると思います。また、会社側としても、滅私奉公する社員は減るものの、その代わりに雇用の調整(リストラ)がしやすいというメリットも享受でき非常に効率的ではないかと思います。

ジョブ型は個人主義だからダメ、というのは、日本人の思い込み?

むしろ、会社はこの様な社員のモチベーションを上手く利用しつつも、相互依存ではなく社員と共に成長する道を模索すべきだと思うのです。会社組織は人間の組織と同じであり、負担の多い部署(頭)とそうでない部署(手足)が存在するという事実を会社側も目をそらさずに認識することで、負担がかかる部署には高い報酬とそのジョブの条件(資格や経歴)を明示しやすくなるのです。これまでは会社が終身雇用制に縛られ過ぎていたため、「ジョブごとに価値の違うこと」「全社員を等しく扱うこと」というダブルスタンダードを無理に共存させた結果、制度疲労を起きて、色々な面に矛盾やしわ寄せが起こっていたのです

日本企業型ジョブ型雇用は実現するか?

ジョブ型が効率が良いと言っても、確かに日本人が違和感なくジョブ型に移行できるかといえば、それは少々疑問が残るかもしれません。みなオジの知り合いでも、外資企業(つまりジョブ型)で長年働いている人がいますが、口癖の様に「長年、外資系企業で働くと、日本型のメンバーシップ雇用にはなじめなくなる」といっていました。つまり、逆を言えばメンバーシップ型雇用に骨の髄まで慣れ親しんでいる、日本人にとってはジョブ型へはすんなりと適合できるものではないのです。そのため、日本人でもスムースに適合できる制度にカスタマイズした、日本企業型ジョブ型雇用を取り入れる必要があるのかもしれません。

具体例① 社内公募制度、シフトダウン型職種変更

モチベーションが高くかつスキルを満たす社員が自由にそのポストに応募できるような制度を作り、一方で負担が低い部署には何らかの事由(健康不良、育児・介護等)により仕事へのプライオリティを下げざるを得ない社員を充てるといった柔軟性を持つことが重要ではないでしょうか。

後者の場合は、自身の病気や家族の介護・育児等の負担が解消すれば、また、業務に注力できる様な配慮が必要となります。現在の日本企業では、仕事のギアを一回落としてしまうと、そこから再度上げるチャンスが少ないという傾向があります。しかしながら、人生には山あり谷ありであることを考えると、シフトを下げなければならない場面もある訳で、それらを柔軟に会社側も受け入れることで、有能な人材の離職を防ぐことができ、一方で若くてもやる気にあふれた人員をアサインできるのです。

まとめ

冒頭でも触れましたが、会社内の不平等問題の本質は、会社が「形式的な平等」に囚われ過ぎる余り、ジョブによる報酬の差をつけることをしない代わりに、社員にも働き方の均質性を求め、社員は人生を通じて一律のテンションで働くことを求められるという、いわば「平等の強要」が生じ、組織の硬直が起きた事ではないかと考えます。

本来、仕事(重視)とプライベート(重視)という「働き方の濃淡」が生じる事自体は、人間である以上自然な事ですが、大切なことはこれらのスイッチ切り替えがどれだけ自発的にできるかという事ではないでしょうか。プライベート重視から仕事重視に切り替えが自由であれば、社内のジョブ間で報酬格差が生じたとしても、自分の努力と熱意でコントロールできるので、「実質的(結果の)平等」の範疇であるといえ、憲法の精神にも合致することになります。

また、会社が「能力格差」と「所得格差」に取り組む方法としては、ジョブ型雇用への移行を前提とし、社員全員が等しく社内教育を受ける(スキル獲得の)機会は確保しつつも、社員間の競争を煽るのではなく、社員の意欲も含め「多様な働き方」を認めて、能力と働き方に応じた賃金体系を構築し、会社が最適化(例えば、社員の副業を許容し、副業で得た経験や人脈を本業で発揮してもらう等)できるような柔軟な組織にシフトする事だと考えています。

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港区オジさん(みなオジ)です。
長い極貧オジさん生活を経て、いつの間にか小金持ちのアーリーリタイアオジさんにクラスチェンジしました!
投資家と司法書士の肩書を有する一方、妻の尻に敷かれるちょい駄目オジさんの異名も持つ。